星のまなびば
中西れいこさんの星のまなびば
とってもよかった。
私の好きな世界だった。
今日は、思ったより大きなエネルギーの場に居たようで、夕方にはぐったり。目がとろ〜んとして疲れている。
でも、嫌な感じでなくて心地よい疲れって感じ。
以前はね、
以前と言うのはコーチングを学ぶまえだったけど、大勢の場は溶け込めなくて、帰宅すると頭痛がしたり背中がこわばったりして酷くシンドかった。なのにザワザワして眠りにつけず辛かった。
今日はそうじゃない。
そして、なんか場が浮いてる感があるのは、風の星座の資質なんだとわかった。
なーんだそうだったのか。って感じ。
同じ風の星座の天秤座、双子座、水瓶座は、知性情報思考の星。
その風グループで闇や光をシェアした時アルアルだった。
とても居心地良いのは同じ風エネルギーをもってるからなんだね。
多様性と相互理解をいろんなワークで感じることができて楽しかったよ。
そしてマイケルムーアの世界戦略のDVDはとても興味深かった。
日本がどれだけアメリカナイズされているのかと驚いた。
各国の人生で大切にしているものや教育方針は、今の日本とまるでちがっていた。DVD買おうかなぁ。もっと見たいなぁ。
プラネタリーの予告は、心が動きジョアンナメイシーの顔を見た時、ウッ!と感情が揺らいだ。ムービーが止まった時既に泣きそうになっていた。
12/1で同大でやってたんだね。見逃したなぁ。
最後にそれぞれが感じた言葉を一言輪に放ちワンネスになった。
私の言った言葉は『願い』
自分の願いを大事にしつつ
他者の願いも聴いて行きたい。
幸せになるために自分の正直な本心を切実な願いを大切に相手に誠実に伝えていく。
深く一つのことに集中して諦めずに続けていきたい。
パートナーシップにおけるGIVE&TAKE
目に見えない力学が関係性をややこしくしてるのよね。
これ読んで、give&takeの関係性が、ストンと納得しました。
完全同量のやりとりでは、関係性が止まってしまうというところになるほどと。
ある程のアンバランスが、受けるとる側も与える側も、愛だな。
愛!
遊びのある関係。均衡を取り戻そうとする余力のあるバランス、大事なんだなぁ。
〜*〜(引用)
【受け取るとこと与えること】
受け取ると重く感じ、与えると軽く感じる。受け取った側は、重さから解放されるために、与える必要を感じる。
関係を維持したい場合は、受けとったことに対してお返しはわずかに多めに、仕返しは少なめにすることで関係は保たれる。
完全に同量、同質のものを与えあい、受け取りあうと関係は止まる。
親子関係、師弟関係では、与えあい、受け取りあうという対等の関係にならない。先に来たものが後から来たものにあたえる。
〜*〜(引用終)
Love's Hidden Symmetry: What Makes Love Work in Relationship
By Bert Helinger
親子関係において、与える順序が逆流すると後から来たものが荷物を背負うことになるのね。それが、なんとも重く、苦しい。
もつれた関係性を紐解き、愛の調和をとり戻す!
わたし これツボやわ。
フォーカシング初体験
今日もいいお天気♪ お部屋は窓からの陽光をクリスタルグラスが受けて、虹のプリズムで浄化する中、朝からコーチ仲間とスカイプですっきり!
自分の思いを伝え合う聴き合うって豊かになるなぁ!
話し終わると来年の目標リストがさーっと降りてきたので筆ペンで書き出してみた。
すると、さらに 「叶えるリスト」も降りてきた。より詳しく内面的に成長したがっている自分が見える。
それを行動していって初めて実際に変化していくことは今まで学んできているので良く承知している。
やっていこう!
ただただ愚直にこころ響く方向にやっていこう!
それでいいんだと思う。
意識が変化していくには道を失うことも必要
おとといアカデミックなフォーカシングの場に参加して、とても確信をもったのは、
「ヒトはメタファーを語る時、真実をはなしているんだ」
ということ。
自分の内側に起こってくる感覚を言葉で表現するのはなかなか難しい。でもそれを「たとえ」で「〜〜〜のよう」と話し始めると、伝えることができる。
さらに、たとえ(比喩)で伝えられた時、きかせてもらっているほうは、追体験がおこってくる。自分の経験則に照らし合わせる共感とはまたちがうもの。
自分が相手の追体験を始めることで、自分の中で言葉としての表現が始まろうとし、それを外にだすと理解が深まる。
それは、自分の中から生まれた流れであり、他者からの誘導ではない。
池見陽教授のお話をききながら
そんな内容の捉え方を私はしていた。
それで、テーマは「今年一年は自分にとってどんな年だったか」
じゃぁやってみましょうと実践の場にうつり
「私は・・・・」とD4の臨床心理士さんに話し始めて
自分自身とつながり自己を感じてみると、面白い言葉が出てきた。
「私は、この1年、長い間背負っていた荷物を少しづつおろし、それをすることによって、ただれて荒れていた内臓の粘膜が、ツルんとなってきた。。そんな年でした」
ここからセッションが始まった。
私が具体的になにをしてきたかということは一切話さず、すべてメタファーだった。
話し始めると見えてきた。
「この2年ほどの間、ある目標に向かって、一生懸命研鑽してきたことがあったが、特にこの1年その目標を達成する歩みが苦しくて、とまどい、本当にこれが私のやりたいことなのかとなんども立ち止まることがあった。
そして、1年がすぎふりかえると、目標を達成しようとしている道は、自分の内面の粘膜のただれを癒し、整え、ツルんとした状態になることをしてきたのだと ようやく気付いたのだった。
達成することより、歩んできたプロセスにたいする自分への承認がもててきた。
そうして、まだ目標は達成していないけれど、ちょっとポカーンとしている自分が今います」と話した。
そのポカーンは、不安ではなく「空」であり「自由」なのだ。
それがちょっと嬉しい。
今朝、ふとデスクの横を見ると「スランプ」の時に自分を確かめる文言集の張り紙が目に止まった。
その中で今日一番自分に響いたのは、
「意識が進化していくには、道を失うことも必要」
という言葉だった。
一度リセットする時って誰にでもあるよね。
そこからまた新たに創っていけばいいや。
家族の座を深める
【不安と安心 〜家族の座を深めた昨日のセッションより〜】
結婚する時に『私はあなたを妻として一生懸命支える』と言う誓いを深いところでしてしまったよう。
そして、それと引き換えに『その代わり私を安心させて』と言葉にならないエッセンスで期待の種を自分に植え込んだんだと今更ながらわかった。
深い部分に刻まれたビリーフは、当たり前すぎて自分ではなかなか気がつかない。
他者に安心を求めるから、いつまでも不安は無くならない。
自分で自分の安心を作ればいい。
自分を安心させられるのは自分でしかない。
他者でも環境に期待するのでなく、自分の他者への関わりから、安心を創り出す、自分の環境を安心する環境に変えていく。
自分の安心は自分で創り、自分で守る。
そうして自分に安寧がおとずれる。
自分が安寧でいるとき、エネルギーがチャージされる。
そこから意図で動こう!
これは夫婦関係だけではないと思う。
自分の在り方が全ての世界に投影している。
そして、妻である前に、
私はひとりの女である。
Peace begins with me.
あの人は私のことをワカッテクレテイル。
あの人は私のことをワカッテクレテイル。
そんな人が一人でもいたら、
人は希望をもち、
生きていけるのかもしれない。
人に優しくなれるのかもしれない。
人は誰かに認知承認された経験を持たないと、他者を思いやる心が育たないんじゃないかと思う。
そして、1番認知してほしいのは、何より自分の母親からなのだろう。
承認欲求は、依存だ。
自分で自分を認知承認すればいい。
でもそれがなかなか難しいんだよね。
欠けたところを埋めようとしている限り、
すべての自分を受け入れられないし、認知できない。
完璧主義者が、実は自己肯定感が低いのは、そうゆうわけだと思う。
だってわたしはかつてスゴイ完璧主義者だっから。
苦しかったよ。
自分にかけた呪縛に気がつくまでは。