聴いてくれる人は、自己を高めるのにどれほど大切な存在であるかと再認識したわけです
久しぶりに胸を打つ書籍を読んだ。『ひとことの力』。
2014年12月の発行だ。ようやく私が此処にたどり着いた感がある。
著者は、松下幸之助さん(気安く呼んでスミマセン)の側近中の側近 江口克彦さん(気安く呼んですみません)で、
27歳からの23年間をほとんど毎日早朝・夕方と松下幸之助さんに電話で呼び出され、
その時に松下幸之助さんが、話されたことをメモに残し 関西弁で書き起こされている。
松下幸之助さんが71歳からご逝去される94歳と6ヶ月までの逸話集である。
関西人以外には読みづらいかもしれないけれど、関西人の私にとって、この言葉のニュアンスにお人柄が偲ばれ、私の心の奥に届いた。
そして、最後の頁に記された松下幸之助さんの戒名を見た瞬間 震えて落涙してしまった。
まさに、お相応しい戒名であること、
真にご自身の人生の「幸たるものは何なのか」を体現された方だと感じ入った。
戒名を見て、泣けたのは、初めて。
標準語で書かれてあったなら、ここまで感動しなかったかもしれない。
松下幸之助さんが江口さんに語りかける 口頭のよびかけに愛を感じる。
最近は 東洋経済オンラインでも「問わず語り」として その幾篇を読めることができる。
なぜこんなにお若い江口さんに白羽の矢が立ったのか。
私は不思議で仕方がなかった。
時には頭が真っ白になり卒倒するほどの叱責を何度もうけながら、真夜中の電話にも応対し、そして感動し、「日々新た」をこころに刻まれる江口克彦さん。
松下幸之助さんは、「この人!」と決めたら、徹底的に見込んだ人を育て上げるときいているが、どうして江口克彦さんであったのかは、本書を読み進めると中盤にその理由と推察されるものがかかれてあった。
「経営の神様」と呼ばれている松下幸之助さん。
小学校3年の時に、父親が米相場に手を出し、家を潰し、10人の一家は離散。幸之助さんは小学校中退で大阪に丁稚として奉公にいくがそこも倒産。そして、自転車店に移り商いを学ぶ。そこからのエピソードは周知のものだろう。
本書に書かれてあるのは、「人間は偉大な存在である」という幸之助さんの人間観溢れる対話で、常に人を尊重し、感謝をもって人に向かっているあり方だ。
私は、それに深い感銘をうけた。
生涯の孤独を生きるエネルギーに変え、
---(引用)
松下の言葉は、紛れもなく、松下自身の人間観、すなわち、人間は誰でも無限の価値を有している。ゆえにその尊厳は比類なきものである。肩書きなど関係ない。老若男女の区別はない。出自など、さらに関係ない。いま、そこにいる人間が偉大な存在。人間は誰でもが、偉大なる存在である、という、独自の根本思想、考えから紡ぎ出された言葉なのだ。
--(引用ここまで)
もう一回読もうと思う。
この行き先が見えない今だからこそ、
経営者でなくとも、万人に響く「自分はどうあるのか?」を見つけるヒントとなる言葉だとおもう。